「夢と挫折」のお題で書いた記事が受賞してしまった件
先日行われていたお題で書いたエントリーがなんとまあ受賞者10名に選出して頂いたようで連絡を頂戴いたしました。
思わず
書いた文章はこちらです
kotobaasobi.hatenablog.com
発表頂いた様子
blog.hatenablog.com
誰かに認められるというのはやはり嬉しいものですね。
「大丈夫だよ、そのまま生きていけば良いんだよ」
そんな風に言ってくれてるようで。
なんだか少しホッとしました。
ブログっていうのは誰かに聞いてもらいたいけど、恥ずかしかったり辛すぎて中々うまく言えないことだったりを書き残せてとても良いなあと改めて感じました。
せっかくなので賞品のNetflixも利用させてもらってたくさんのことばに触れてみよう。
夢持たぬ人生
「夢」を持ったことがあったか?
「夢」に向かって全てを捧げたことが有ったか?
「夢」とはなんだろうか?
「目標」とも違う。
「希望」、「期待」、「理想」どれも少し違う気がする。「夢」とはもっと強く大きく簡単には叶わないものであるというイメージがある。
結局は生きていくために必要であろう、前を向くエネルギーを指すのか?
それともなりたい自分になるために脳を騙すということか?
小学生、卒業文集が嫌だった。
将来なりたい職業を書くことになっていた、人気はプロ野球選手、サッカー、先生やらアイドル、芸能人、オリンピックに出て金メダルを取るなどなど、父親の職業を書く子も多く、サラリーマンやら会社員と書く同級生もいた。
今でも覚えている、何を書けば良いか分からなかった。とりあえず警察官と書いた。「人の役にたちたい」、そう一言を添えた。
中学生、更に分からなくなった。人付き合いは普通にできたし、友人もいた、トモダチグループにも便宜上ではあるが属してもみた。でも、なりたい自分なんてなかった。中学生で目立った成績も残せない部活動に夢を語る意味があるとも思えず、斜に構えていたのだろうか?サラリーマンと書いた。「普通」過ぎる自分が嫌いだった。
高校生、「夢」を問われることはなかった。
聞かれても、「答え」は持っていなかった。
大学を経て、就職をしても、特に「普通」のまま、もう、「普通」でいることに何も思わなくなった。満員電車にのる「普通」のサラリーマンでいられた。
その内に、結婚をして、子供が産まれて、子供と向き合うようになり、なぜだろう?
我が子よ、「夢」を持つんだぞ。そして、なりたい自分になるんだぞ、後悔をするな。
そう、思うようになった。
「挫折」とは人を成長させる糧に、起爆剤になるものであろうと思う。
「成功」とは「挫折」の先に有るのではないかと、そうも思う。
「夢」を持たずに「挫折」を経験しないことは、人生を薄味にしてしまうのではないか?自分のことを振り返るとそう感じる。なにかに没頭したことがあったか?「夢中」になるとはよくいったものだ。夢中でいられるほどに挫折し、成長し、人生を濃いものにするのかもしれない。
「夢」と言えるか分からないが、
「我が子に夢を持たせる」
その環境を作ってやりたいと、今はそう願う。
「こうありたいと願う」
「そうなりたいと願う」
そう、「夢」とは「願い」だ。
年齢を重ね、もう問われることもないが、
「夢はお持ちですか?」と問われたのならば、今は自信を持ってこう答えられる。
「我が子にとって立派な父になりたい」
Netflix火花お題「夢と挫折」
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